GRJ日記

サイトの日記代わりです。やや古いマンガやや古いアニメやや古い特撮(略)大好き。

西郷ドン第11回

始まるドン。

なりあきらはまだ死にませんでした。でも時間の問題なんです。暗殺説はかなり濃いらしいね。そりゃそうだろうね。サノシローじゃないけど、敵は沢山いたからなあ。いたるところに自分に死んでほしい人がいる人生って、すごいなあ。イヤだよね。勿論誰だってイヤだろう。たまには、誰に、何人に、どれほど憎まれても一向になんとも思わない、鋼鉄のようなDIO様のような神経のひともいるんでしょうけれども、普通はイヤです。でも、今はそんなこと言ってる場合じゃないから、なりあきらは毒を盛られようがなにしようが前へ前へ進んでゆくのである。でも、慶喜を推していきましょう決起集会みたいな集まりでいぶまさとうや慶喜と会食した時の、慶喜からなりあきらへの「ここにまともな父親は居ないらしい。自分の息子が毒殺されたというのに、目出たいだと?」みたいな言葉は、観ていて、聴いていて、まさしくその通りだと思いました。

なりあきらはもちろん、自分の息子が自分の息子として生まれたばかりに毒殺されたことを、つらいと思い、悔しいと思い、悲しいと思っているのでしょうけれども、うーんなんといったらいいのか

全ての責務から解き放たれて、妻や息子と共に平和な平穏な、そして平凡な生活をしたいとは、決して思っていないんだろうと思った。そのことを責めているんじゃないですよ。息子が殺されたのは悲しい。つらい。でも泣く間もなくアツ姫を政治の道具として徳川家に乗り込ませる。自分の方で真の世継ぎを用意した上で。アツ姫の人生がこの先不幸なものであろうと承知の上で。

日本が外国からの力に圧し潰されないようにする、その一点の前では、自分の命も、家族の命も、自分を慕う者全ての運命も、すべて差し出すというね。それって、あの時代の(いつの時代でもか)国の命運を賭けて戦う人たちは皆決めている覚悟なんだろうかね。

そんな殿のことだけ考えている西郷。西郷だけは外国も徳川も知らない。ただひたすら殿のために動き、愚かなことをし、叱責され、蹴られ、そして抱きかかえられて「お前とわたしは似ている」なことを言われ、こんな至近距離で見つめられ、魂が抜けかけていた西郷は、今が一番幸せな時期ですねえ。蹴られた肩が疼く。触れそうな唇が熱い。でしょうか。いっそのことあのままキスしろ(笑)な、くらいの角度と近さでした。いいんだよしちゃいなよ。そのうち出来なくなるんだからさ。キスするのは生きているうちよ。なんだ。格言か?

誰かの本で読んだ。外国の格言だか、なんだか。

  「若いうちにチャンスを掴むのよ」

  「私はまだ19よ」

  「来年は20、そのつぎは21。その次は30よ」

数字が今一つあやふやなんですが、確かに…!って言いたくなるものがあって、覚えています。若い皆さん、若さは本当に瞬く間しかない。今のうちにやれ。やるんだぞ。

まあ、虹捜索は若くなくても出来るけどね(笑)よかった。若くないとやれないことじゃなくて。