GRJ日記

サイトの日記代わりです。やや古いマンガやや古いアニメやや古い特撮(略)大好き。

新しい日本沈没

を観ました。現代ニッポンにおけるリアルな筋書きにしようとするとこうなるんだな。もう、潜水艦の操縦士が個人で現地に乗り込んでいって人々を助けてまわったり女に好かれてアバンチュール(してないけど)なんて冒険もの設定はまかり通らないのね。科学が進んで海底の資源を汲み上げるシステムが作られて、それが日本が沈没する規模の地震の引き金となるというのは、素人には「充分あり得そう」に思える流れでしたが。
1976年頃の日本は、テレビで臨時ニュースを流し総理大臣が呼びかければ飛行機や船で全員外国へ脱出できそうですが、今の日本はコロナの予防接種ひとつ打つのでもいろんなアクシデントがあり、今現在でもやっと70%が終わった状態らしいし、「あと一ヶ月後に日本は沈むので、落ち着いて避難して下さい」て言われても、一体何%の国民が逃げられるものやらと思ってしまいます。
今回の日本沈没には小野寺俊夫や阿部玲子は居ないとは聞いていたので、「まあおぐりしゅんの顔をしたわかものが主人公なんだろうな…でも松ケンは小野寺君の親友の結城くん的な立ち位置のキャラかしら」なんて言ってたのですが、でも!きっと田所博士は居る筈。誰よりも日本のことを愛し憂い、皆に基地外扱いされならも自分の信じる主張を止めない孤独な科学者。孤独なというのが重要で、『まさか、そんなことが起こる筈がない』という常識とか正常性バイアスの嵐の中たった一人「日本は沈没する」と暗い予言を叫ぶ存在が居ないと『日本沈没』は始まらないのです。登場人物全員で「どうやらこれは、日本は沈没するな」「そうだな」と言い合いうなずき合って、おもむろに手分けして解決をはかる話ではないのです。それはそれでちょっと面白いが。一回観てみたいね。ものわかりのいい人ばかりの日本沈没。脱線しましたが、旧ドラマで、影のフィクサーと言われている老人に「科学者に必要なものはなにか」と問われ、田所が間髪入れず「勘とイマジネーションだ」と言うシーンは大好きなのですが、あの人が居なければ、繰り返しますが日本沈没は始まらない。だから絶対居る。と思ってメンバーを眺め、「中村トオルは絶対違う…くにむらはやぶさはまた日本沈没に出るのか。前作はイヤな役だったが今回もかな。沈没好きなのかな。とにかく田所博士ではないな。すると」右端にかがわてるゆきの顔が。まさか、と思ったらそのまさかであった。
かわわてるゆきの演技はおおむね皆「さすがかがわてるゆき」「日曜劇場の顔」みたいに言ってましたけれども、田所博士を愛してやまない私からはちょっと、「ヘンな人度合いを押し出しすぎ」な感がありました。田所博士は偏屈で横柄だけど、ヘンな人ではないと思う。まあでも、自分の研究に打ち込むあまりに人間関係とか立ち回るとか根回しとか一切考えナシな感じは出ていたのかな。海底で自分の目が確かに見たものを、なかったことにされた時の呆然加減は良かったな。「良かったな」と言えば、おぐりしゅんが「あれ…?これは変だ」と感じる場面が何回かあって、そのたびに「もしや」「まさか」「ひょっとして」となっていく、なっていく自分の気持ちに嘘はつけず、最後に、ここまで自分も基地外扱いしていた田所博士の援護をしてしまう流れにはホッとした。突然援護されて「え?」みたいな情けない顔のかがわてるゆきも良かった。これは…もしかしたら…しゅんとてるゆきでやらかす人もいるのでは…ああ、いるか、はんざわなおきだってそういうのはあったんだろうし。どっちが上なのかな…ちょっと暗黒な想像をしている。
まあ、最終回でおぐりしゅんと杏ちゃんが沈みゆくお台場でかがわてるゆきに見守られ結婚式を挙げるなんて展開には絶対ならないであろう。なったら笑う。やたら「東京が沈没する」な言い方をするんですが、いずれ京都や熊本や大島や北海道も沈むんであろうか。ドキドキしつつ見守ろうと思います。