GRJ日記

サイトの日記代わりです。やや古いマンガやや古いアニメやや古い特撮(略)大好き。

言い回しの変化など

結構前に「とんでもない」はこれで一連なりの言葉なので、これの丁寧語は「とんでもないことで(ございま)す」となり、とんでもございませんは間違い、という文章を読んだことがありました。その時はほほうと思い、時々誤用しているのを見かけると「本当は違うんだよ。ふふん」と思っていました。
でも先日、観てはいなかったのですがはんざわなおきの一場面を観る機会があり、その時「とんでもございません」と言っていました。その時、ちょっとしたコラムとか一口メモみたいな扱いならともかく、時間も人も割いて作っている(しかも大人気で沢山の人が観ている)ドラマで、誤用なんかするのか、と思ったのですが、現在は許容されそういう使い方もすることになっているんですと。
え~でももともと間違ってるってわかってる言葉を敢えてドラマで採用するのか~?というモヤリは残りましたが、「そんなことはわざわざ気に留めない。銀行マンだって普通に使ってて自然と口に出るならそれで良し」でもって言葉はどんどん変わっていくわけだなと思いました。「食べれる」「見れる」もすっかりテレビのテロップで使われるようになったしな。私はどちらかというとそういうのを「嘆かわしい」と思うじじい側の人間ですが。でも私も「確信犯」という言葉をまんまと誤用していましたので、偉そうなことは言えません。
昔から連綿と続いてきているものに関しては、自分たちの代で勝手な気分で使い方を変えたりしてはいけないのでは、と思う気持ちがやはり強いですが、今まで続いてきているものの中にもそうやって昔の人たちの勝手でねじ曲がって現在に伝わってきているものだっていくらでもあるわけですよね。案外、今現在常識として教科書に載っているようなものでも、実は昔の人の勝手な気分でそういうことになってるものもあるかも知れない。一番それを思うのが、大昔居たことになっている人。その時代の人々みんなで口裏合わせて居たことにして辻褄合わせて記録を残せば、現代人は居たと思うんではなかろうか。今の世の中でも、本当に全員が口裏合わせてひとりの人物を捏造しようと思えば出来ると思う。千年後の人々をだまくらかすために。ちょっと面白いと思う。