GRJ日記

サイトの日記代わりです。やや古いマンガやや古いアニメやや古い特撮(略)大好き。

若い時のシーン

この頃夕食の時間に金田一耕助を観ています。アマゾンのプライムビデオね。
キリがいいように、ふるやいっこうが金田一をやったテレビシリーズをよく観る。
観ていて思うことは
大概犯人は女主人です。まず8割はそうです。出た瞬間にわかる。別にそれは良い。金田一耕助は厳密には推理ものではないので。なら何かというと「戦後まもなくの淫靡で陰気な因習に囚われた失われし日本の雰囲気を味わい、陰惨な殺人事件にギャーと叫んで喜ぶ」ジャンルです。そんなジャンルあるか、と言われると多分ある。
で今言いましたが金田一は必ず戦後10年くらいの世界、まだまだ生傷が残っていて、「戦争で行方不明となっていた人が還ってきた」が説明として通る世界でないと。ただの行方不明ではないのだ。ふるやいっこうのテレビシリーズはロケの風景がその金田一の世界とあまり違わない。だから金田一の世界が撮れる。ポツンと一軒家を観ていて思うのはたとえどんなに山奥の一軒家でも、金田一のロケはもう出来ないなということです。別にそれが駄目と言ってるんじゃないよ。それでいいんです。ただ、金田一のロケ以下同文ということで。
ものすごく脱線しましたが、その女主人が大概犯人なんですけど、和服を着ていておっとりした中年~壮年の日本美人が犯人だとすると、「この死体を、たった一人で、てまり歌とか子守歌とか何かになぞらえた姿にして設置するのはものすごーく大変ではないのか」と思うことが多々ある。ということです。ただ刺し殺すんじゃないんだから。菊人形に首だけ乗せたり、屋根の上に乗せて天窓から下をのぞかせたりしないといけないんだから。大雨の日に屋根の上にくそ重たい死体抱えて和服で上がるなんて、滑り落ちてドリフ状態になること必至。
それから、必ず女が無理やり妾にされたり強姦されたことをネタにゆすられたりする。これもねえ、もちろん現代でも、つきあってた時に撮った裸の写真をネットに乗せられたりしますけど、ちょっとニュアンスが違う。もっと一方的で、ひたすら女は男の奴隷、男の持ち物の構図なのが、時代を感じますね。こうしてみるとこの数十年で女の人が強くなったんだなあと思う。地主とか旧家の名士がものすごい権力者だしね。今こんなことしたらいくらなんでも捕まるだろ、というようなことがまかり通っている。
延々と金田一の世界について話してきましたが、言いたいことは別でして
岩下志麻が犯人のことがたまにあります。貫禄もあるしキャリアもあるしで犯人役が出来る人ですので。で、昔の思い出のシーン、はたちくらいの頃にあったことを再現するシーンがある。
ああ大河ドラマ北条政子もやっていましたが、過去においてまだ小娘の政子があいびきのため必死で走っているシーンがあった。
「この子の七つのお祝いに」という、似たようなジャンル、戦後まもなく淫靡耽美殺人現場にギャーと言うジャンル、もう少し推理の部分に力が入っている映画を観て、これまた出た瞬間に「岩下志麻が犯人だな」と思う。で、この人が高校生の頃の写真が出てくるんですよ。
その、どれも、過去のシーンや写真を、岩下志麻本人がやっている。
申し訳ないがものすごい違和感があるのです。「無理だろ」と言わざるを得ない、ぶはーと吹き出す。どうして吹き替えないんだろう。似たような顔立ちの若い娘を連れてきて撮ればいいではないか。たとえ別人だとわかっても、「若い頃の再現シーンなんだな」とわかれば、別に誰も何も言いはしません。そういうものですから。
なぜかたくなに本人が演じるのだろう。観ているこちらが思わず視聴を止めてまじまじと画面を見てしまうほどに違和感をかもしているのに。何か理由や事情があるのだろうか。
ということでした。