GRJ日記

サイトの日記代わりです。やや古いマンガやや古いアニメやや古い特撮(略)大好き。

例の鰐の話

私は連載途中で概略を知って、最終回後の顛末をニュースで知ったという程度ですので、ちゃんと読んではいません。数話拾い読みみたいに内容を見ていて、毎回の4コマの下に書かれている一行がキモ、の辺りの事情を知っている程度です。あとついでに最終回の内容と。
4コマの下に書かれている一行がなかったら、単なるほのぼのした動物擬人化マンガなんだろう。面白くなくはないけど、毎回胸を熱くして読みふける程でもない。その、一行が書かれていること、最後が死で終わるのが決まっている事で、皆今の一瞬を精一杯に生きるのが大事…!みたいな誰かの感想や、作者の弁を読みましたが、私は大嫌いです。商業主義がどうとか以前に。たとえ、映画化だの誰だかとコラボとかも無くただ普通にツイッターでの連載が終わったとしてもです。
もちろん誰だって、100日後か1000日後か10000日後か3日後か知らんが死ぬし、そのことを意識すればありふれた日常だって輝いて見えるのはわかります。わかるというより当たり前だ。明日死ぬとしたら今日をどう生きるか、想像したことがない人はいないんじゃないのか。そのこと自体ではなく、「この鰐、あと何日で死ぬんだよ」「もうすぐ死ぬのに今こうやって未来に思いをはせて喜んだりしてるんだね」という、死刑をドキワクで覗き見するような視線、そしてこの気のいい鰐が死んだらさぞかし悲しいだろうと、タオル用意して泣くのを待ってる「泣ける話大好き根性」が、嫌でしょうがない。
だから、大ヒットしたけどタイタニックも嫌だった。「どうせ最後は死ぬ」「悲劇の恋」がどーんばーんとあって、その悲劇が少しずつ近づいてくるのをワクワクしながら待っている感じ。若い二人の精一杯の生きざまがこの作品の本筋、とか言われても一蹴する。「最後に死ぬと知っていてワクワク」だろ、と言い返す。タイタニックだって、最後にギリセーフで救われて生き残ると知っていたら、みんなあんなに盛り上がらなかったんじゃないの。どうよ。
みんな各々の平凡な幸せをかみしめながらあと?日の命を生きている、なんてのは教えてもらわなくても知ってる。悲しむことが目的で平凡な幸せを温かく見守りたくなんかない。皆それぞれ精一杯生きよう、でよろしい。