GRJ日記

サイトの日記代わりです。やや古いマンガやや古いアニメやや古い特撮(略)大好き。

あれから9年とか逃避行兄貴とか

地震の日から9年経ちました。地震がきっかけではないのですが、あの年から自分の人生が大きく変わりましたので、「あの地震前」「地震以降」という思い出し方はよくします。
私個人はあの地震によって何か大きいものを失った、ということはなく、一ヶ月前後不便な生活を強いられ、仕事の場所が変わったという程度です。なので、私がこういう事を言うのもおかしいのですが、あの地震についての、ルポや、ドキュメンタリーは、別にいいです。でも、あの地震を題材としたドラマ、フィクションは、やって欲しくない。あれで沢山の人が自分の半身をもぎ取られそれまでの人生を根こそぎ奪われた。その苦しみに耐えかねて自ら死んだ人だっている。そういう性質のものであって、決して風化することはない。ある人にとっては何年前のことだろうと、たった今自分を苦しめていることである。過去の出来事にはならないのです。そういうものを、他人が、勝手に「過去の物語」にして効果的に膨らましたり色をつけて演じたりしていいものではない。ただひたすら、あの時何があったのかを、語れる人が語り、耳のある人はそれを聞いて忘れないようにするだけで良いと思う。

 

前回、哀しいペッシの話をしましたが、ふと思った。俺が始末すると言って追いかけてきた兄貴が、ふと天を仰いで、「ああなんだか面倒になった。一緒に行くか、ペッシ」とか言い、2人で逃げる、というのはあるだろうかと。
逃げたら今度はリゾットに迷惑がかかるからそんなことはしないだろうか。それとも、「リゾットの野郎怒ってるんだろうなあ」なんて苦笑して、「兄貴、いいんです、おいらを始末して戻ってくださ…」「ああもう喋るな。今までずっと野郎の下で真面目に働いてきたんだ。最後くらい迷惑をかけさせてもらうさ。臨時ボーナスだ。リゾートホテルに泊まろうぜ、ペッシ」なんて笑って言う、のはどうでしょう。
逃げて逃げて、つかの間の休日を楽しんで、「こんなにのんびりしたバカンスは初めてだな」「そうですね」笑い合って、追手が迫るのを2人で撃退し、ケガを負いながら更に逃げて、そして最後にリゾットがやってきて、「バカな真似をしたな、プロシュート」「言っとくが、そう簡単には片付かねえぜ、俺たちは。なあ、ペッシよ」「へい、兄貴」「この数日間でな、こいつは本当に成長した。死ぬ覚悟があるなら、かかってこい」ニヤリ笑いの兄貴の周囲に紫の靄、そして背後に殺気をみなぎらせ身構える、チームの余され者だった男の顔つきの変化を見て取るリゾット「確かに、苦労しそうだ」
なんてかー。
でも最後は、2人とも敗れるんだろうな。あるいは、片足失った兄貴をかばって立つペッシに、ふたりでどこへでも消えろ、と言うのかな。どうだろう。