GRJ日記

サイトの日記代わりです。やや古いマンガやや古いアニメやや古い特撮(略)大好き。

そう思わない

ヤフーのニュースを観ているとその事件に対して、代表的なコメントが3つほど並んでいます。皆さんも見たことあるだろうし、そう思う、あるいはそう思わないを押したことがあるでしょう。私はある。

昨今、もうろくしたじいさんがペダル踏み間違えて母と子を轢き殺した事件があり、じいさんがフレンチに遅れそうだったので焦っていたとか、メーカーは安全なクルマを作ってほしいと語ったとか、誰かもコメントで「大量の燃料投下」とか言ってましたが、全くもって「本気で言ってるならアレだし、良い逃れようとしているなら別の方向にアレ」な詳細が明らかになってきました。

こういうニュースに対するコメントは大体、「年齢が理由で轢いたくせに年齢を理由に逃げたら許さん」「でもどうせ逃げるんだろう、上級国民様だからな」「轢かれた母子が可哀想、残されたご主人がんばれ」のあたりで、怒りと悲しみのどちらに傾いているかで少々表現が違うくらいだと思います。

でも、全員が揃って「そう思う」を押すことは絶対にない。必ず「そう思わない」を押す人が居る。それが民主主義というものかも知れませんが(違いますね)

しかし今回の事件はともかくだ。

「誰それさんが逝去」というニュースに対して、ただ一言「ご冥福をお祈りします」のコメント、それに「そう思わない」を押すっていうのは一体なんだろう。

死んだ人は昔の女優だったり、若いアーティストだったりいろいろですけど、冥府での幸せなど祈ってやるものか。あいつは地獄で苦しむのがお似合いだ!と、一般人に思われている、とも思えない顔ぶれ。「ご冥福をお祈りします」という紋切り型の定型文に対してすら「そう思わない」をわざわざ押す。そのひねくれ加減には、ちょっと戸惑いを感じるものです。

クリスマスめがけていちゃいちゃした話を考えていまーす。やっぱクリスマスはいちゃいちゃしないとね。サンタも内心「リア充爆発しろ」と思いながら夜空を翔けているのであろうか。