GRJ日記

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師匠と弟子

波紋は、まあ天賦の才とか、遺伝とかもありますが、やはり何よりも物を言うのは練習、鍛錬、でございます。多分、平凡な人間でも、それこそ艱難汝を玉にす、の心意気でひたすらにひたすらに修練を積んだなら、素質のあるボンボンよりも強くなることだろう。リサリサ先生は、親は別にただの人だろうし、実はこっちの、努力型の天才なのだろう。愛する夫を殺した悪をのさばらせておくものか。の一念であんなに強くなったのだ。偉いなあ。母の努力を見習え、ジョセフ「いやーだよぉーん」「カメオ?」

ですから波紋は皆のもの。熱い気持ちで訓練を重ねる全ての人のもの。だからその上で師匠となり、弟子となる関係も生まれます。でもスタンドとは各個人につき一体で、「自分と同じスタンドを持った誰か」というのは居ない。似たところのある、特徴に共通項のあるスタンドはあるだろうけど。もちろん、「うまい戦闘のやり方」「飛び道具の活かし方」みたいなのを、発動して間もない新人にレクチャーしてあげることは出来るだろうけど、純粋に「鍛える」「育てる」ことは、出来ない。自分のスタンドの戦い方は自分で考えて自分で自分をのばすしかないのである。だからスタンド戦になってから師匠と弟子は居ない。

ジョナサンはツェペリさんが居なければあんなふうに強くはならず、ディオを倒すことも出来なかった。これは断言できる。ジョセフも、リサリサ(と他2人)に鍛えてもらわなかったら、せいぜいシーザーに鳩をくらわせたり、柱の男たちにいっぱいくわせるくらいのところで終わっていた。とてもきちんとはっきりとしている。その点承太郎は、「生来の頭の良さ、冷静さ」「土壇場のクソ力、クソ度胸」それに加えて、発動したスタンドのびっくりパワー。それだけで乗り越えていったんでしょう。大変でしたね。だって、いくら不良だったとはいえ、ただの日本の高校生が、とっさの判断を誤ると死ぬような旅に出て、スタンドを鍛えなくちゃと思っても何をどうすりゃいいのかわかるまい。再度、大変でしたね。

同室になった先輩スタンド使いがそれぞれいろいろ教えてくれたんだろうな。ホロリ。

そしてまた、ポルナレフの「仲間の死が、俺を強くした」ではないけど、承太郎ってどこかのところで、それまでの、なんとなく甘ちゃん不良みたいだったのが、はっきり脱皮して脱ぎ捨てた感がある。どこなのだろう。エジプト上陸後ははっきりその感じが出ている。

やっぱり、仲間を失いかけたり、自分が負けると仲間や母の命まで危険にさらされると実感したり、のあたりで一皮むけたのだろうか。やっぱ承太郎ってそれまで誰かを「仲間」と思ったこともなさそうだし。誰かを尊敬したり、一目おいたりといったこともなさそうだし。

花京院もそうだったろうけど、承太郎にとっても、初めて出来た、先輩であり、同志であり、仲間であり、気の置けない友であったのだろう。

なんか悲しくなってきたので寝ます。お休みなさい。シクシク