映画を観る前にと思って図書館で借りて読みました。
一気読みした。返却日まで何度も読み返そうと思う。
なんと凄絶でギリギリで鬼気迫る、命を燃やすようにして生きた人であろうか。日本語が秘孔突かれててすみません。
それでいてなんと真正直で、誠実で、純粋で、嘘のない人であろうか。
勝つことに誰よりも貪欲なのも、自分に残された時間が少ないと思うからこそなんだよね。
彼は将棋によって命を得、また将棋をあんなにして打ったことで命を削った。どっちが正解なんだろうかと思わずに居られない。決して軽々しく断定できることではないが、でもやっぱり、「これだけの才能をもっているものに巡り会えたことは、幸せではないか」と、何も持っていない凡人は思ってしまう。でも。
彼はもしかしたら、健康で平凡な長い人生と、愛する女性と、自分を長とする家庭の方が欲しかったかも知れない。それのどこが悪いと思う。彼が望んだ2つの事「名人になって、将棋をやめたい」「恋人が欲しい」を知った時、しみじみとつらくなった。
だがそれでも、彼の最期の頃の、本当にまばゆく輝いて流れ落ちてゆくような戦い振りを見ていると、やはり、彼は将棋に選ばれたひとなんではないかと思われてしょうがない。
あっでも、小説の中に、彼がどんなふうに将棋の腕を磨いていったか、どんなふうな手を指したかが出てくるのですが、これはやっぱり将棋を知ってるか否かで全然違う感想を持つんだろうなあと思いました。わたしゃ将棋を知りません。チェスみたいだとか、敵陣に入るとひっくり返るとか、王様を取れば勝ちとか、どうもすみません程度のことしか知らん。どうもすみません。映画を観る前に将棋の基本知識くらい身に付けていかないと。
あと、師匠の森信雄さんという人や、ライバルであって尊敬する相手の羽生善治さんとの関係が本当に胸に沁みる。人間はこんなふうな関係を築く生き物なんだなあと思う。文中に2度ほど出てきた、森さんと寒い夜出会って手をさすってやるシーンとか、終盤に出てきた、羽生さんを食事に誘うシーンとか、本当にジーンときました。映画の予告編でも出てくる「羽生さんの見ている海は皆とは違う」っていう、海とはなんだろう?の謎が解ける部分が小説にあるんですが、その時は「なるほどなあ」と思いました。
千代の富士や北の湖が亡くなった時にも言いましたが、たぐいまれな才能を持ちそしてそれこそ命を削るようにして努力した、本当に一握りの人だけが見られる頂上からの景色というものがあって、それを村山さんと羽生さんは戦いながら共に見たんであろうな。
そしてね、小説では、村山さんがずうっと生きてきた軌跡を丁寧に描いていて、今もその場所は存在しているんだけど、そこに村山さんだけが居なくなってしまった感がひしひしと伝わってきて、最後までくると本当につらくて、ああでもわかるなあと思いました。彼を知らない私が言うのは変ですが、彼と共に生きた人たちに、どうか彼の事を忘れないでくれ、と言いたくなる気持ちです。昔キーストンという競馬ウマが居ましてね、最後の直線で事故って、自分も複雑骨折して発狂するほどの痛みなのに、足を引きずりながら、落馬した騎手のところへ行って彼を助け起こして、その顔を抱きかかえた後騎手が気絶して、次に気が付いた時にはウマは安楽死した後だったという話があって、その時も「直接知らない私が言うのは変ですが、どうかその場面にいた人たちよ、彼らのことを忘れないでくれ」と思ったのですが、同じ気持ちです。
とにかく気持ちがはやっているので日本語が秘孔突かれまくりで申し訳ない。とにかく、つらく切なく、そしてまた熱くきれいなものを見た気持ちです。
くーが終わった!送った!どうもすみません。
さてジョジョ打とう。もう脳内でさんざんイチャコラしてましたが改めてイチャコラしていただく。
地震の方の皆さん大丈夫でしたか?まだ揺れてないとこの皆さんもくれぐれもご用心ください。