最後のひとり、傲慢の罪・エスカノール登場ォッ
キャーッかっこいい!かっこいい!わたしゃこればっかりだな。
でもかっこいいものはどうしようもない!たくましいおっさんに勝るものなし!手配書の爺もよかったけどね。
バンもキングもそれなりにいいなと思いましたけど、いや~今回はときめいた。あんなデカい片手斧を楽々と。うひー
時々、イレギュラーに承太郎に入れあげたりしますけど、基本やっぱり好きなのはおっさんです。板挟みとか社会の軋轢とか、酸いも甘いもさんざん舐めてきたオヤジ。享楽的なオヤジも禁欲的なオヤジもどっちも良いですしね。
男は加齢臭が漂うようになってからだな。そりゃちょっと行き過ぎか。「いやそんなことはないぞ」誰だ
はじめの一歩。
鷹村さん…!
人間だれしも、目の前の課題や義務に対して一生懸命にやるものです。何事にも不真面目で全く本気を入れない、適当に流すことしかしないで毎日を送っている人って、実はそうはいないと思う。誰だって我慢をし、悩んで、その場の最善を尽くしているものだ。
私もね、そうですよ。主に仕事の場で、今どうすればいいのか考えて、それに努めているつもりです。でも、結果的にダメだったということがある。多々ある。
その、『うまくいく』『うまくいかない』曲がり角のところで、最後にものを言うのは、『絶対に自分は良い方を手にする』という、自信ではないだろうか。根拠なんてなくたっていいんです。むしろ、「根拠もないのにきっとうまいこといくと思える」人の方が、「これだけ頑張ってるんだからなんとかなりますように」な人より成功する気がする。
その、根本のところで自分を(今までの努力だったり、実力だったり、運だったり)信じることの出来る人間と、出来ない人が居て、鷹村さんは前者で、だからこそ勝ったんだなと思いました。
「自分ならきっとうまくやれる」なんて、私にはちょっと言えない言葉、なれない心境ですが、謙遜は他人に対してすることである。自分に対しても「私なんかさっぱりで」と言い続けていたら、いつまで経ってもその場から上には上がれない。少しはハッタリでもなんでも、「私に任せておけ」くらい自分に対してカマすようにならないと。
来年の目標:根拠のない自信
打鍵、直しつつ進みました。
今はゴダイとイチジョー氏が喋っている。やや佳境です。
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