何の話かとお思いでしょうが
まず雉の方。
合唱曲「鮎の歌」という組曲の中に入っている「雉」という曲があります。あなたも聴いたことがあると思う。あるいは合唱部に入っていたり、合唱コンクールで選んだりして、歌ったことがあるかも知れない。
サスペンスフルな畳みかけるような短調の調べに乗って、一羽の雉が懸命に逃げている姿が描かれています。背後からは鉄砲を持った人間と犬かな?とにかく人間。が追いかけてくる。飛び立ったら確実に撃たれるから、飛んではいけない。止まったら追いつかれる。とにかく逃げるんだ、雉、と呼びかける歌詞です。
最後の場面、雉は地を蹴って大空に舞い上がる。その姿を、転調し爆発的に歌い上げ、そして最後に一発の銃声が響き渡った、と断ち切るようにして終わる歌です。
次いで鹿の方。
私は村野四郎さんという詩人が大好きなのですが、その人が作った詩です。教科書に載っていました。
こういうのは全文載せて良いのだろうか?転載になるのか?でも載せてる人沢山いるからいいのかな。歌詞じゃないからな。
鹿は 森のはずれの
夕日の中に じっと立っていた
彼は知っていた
小さな額が狙われているのを
けれども 彼に
どうすることが出来ただろう
彼は すんなり立って
村の方を見ていた
生きる時間が黄金のように光る
彼の棲家である
大きい森の夜を背景にして
読んだことあるでしょう。そして、この詩を説明するいろんな言葉があれこれ浮かんでくるけれども、それらすべて口にせずその鹿の、夕陽の中に輝く姿だけをただ胸に思い浮かべぐっと口をつぐむ思いを持つと思う。
初めて読んだ時も今も、同じ「ぐっ」が私やあなたの胸元や喉元にこみ上げる。そういう詩です。
で、
何が言いたいかと言うと、
雉も鹿も助かってはダメだろうか、と言いたいわけである。助かっちゃったら、これらの作品に漲る一本の糸のような緊迫感、刹那に賭ける輝き、刹那ゆえの黄金の輝き、が台無しでしょうが、と言われるのはわかっていますが
いいじゃないか~助かっても~。台無しでいいよ~、シリの辺りに鉄砲傷こさえて、ばさばさばさ!ぴょーんぴょーん!あー怖かった!でもってダサダサで助かってくれよ~。だって決定的な言葉はどっちも出てこないんだしさ。花京院とかアヴドゥルとかイギーみたいに、『雉 ―死亡―』とか出てナレーションの人が読み上げた訳じゃないんだからさあ。DIOが『鹿のやつも…始末してやったぞ』とか言ったわけじゃないんだから。ね。
年取ってくるととみにね…かっこ悪くてもいいから、マヌケに生きてて欲しいですよ、死に場所なんてそう簡単に見つからなくて結構。
打鍵しています。が、ちょっといろいろあってなかなか進まない。でも少しずつ打ってます。
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