GRJ日記

サイトの日記代わりです。やや古いマンガやや古いアニメやや古い特撮(略)大好き。

口の中を

口の中を噛んでしまいました。そして一度噛むと腫れて盛り上がり、噛みやすくなって何度も同じところを噛みますね。血まみれ観音です。

でも私は口の中の傷は結構とっとと治るのでありがたい限り。また噛まないように気をつけて明日と明後日くらいまで過ごそうと思います。

今回はクチビルのぎりぎり縁くらいの位置ですが、口の中のほっぺたを噛む時は「これはデブいという意味であろうか」と思わざるを得ません。やっぱりそうでしょうか。デブいから内側にもおにくが盛り上がり、噛みやすいってことでしょうか。やっぱりそうでしょうか。やっぱりそうなんでしょうか。やっぱり(略)

なんか…昔、わだしんじ先生の読み切り漫画で、灰だか薬だかを浴びるだか飲むだかするとなにかする漫画があったのだが。と今打ってみて何を言ってるのか俺にもさっぱりだ。

あれはなんちゅう漫画だったのかのう。フガフガ

よく、歌ってる人の名も曲名もわからないがメロディだけがわかる、という曲があって、それのタイトルやアーティスト名にたどりつくのは砂浜で指輪を探すより難しいとか、そういう鼻歌を聴いて「この曲じゃないですか」と候補をあげてくれる特殊技能を持ったCD屋の売り子さんが居るとか、いろいろ聞きますが

私もありますよ数曲ね…それに一曲はタイトルも歌ってる人もメロディすらも覚えていない。ただ、「いい曲だった」という記憶だけが残っているのだ。多分、私が生きている間にもう一度あの曲を聴くことはないだろうと思うが、出来れば生きているうちにもう一度聴いてみたいものです。人の記憶なんて泡よりはかないんだから、必ず何かに記録しておかないと駄目よね…

そしてまた、前に、「人は死んだらすべての真理がわかるようになるのでは」と思ったことがあったのですが、考えてみるとなんでまたそんなお得なことが起こり得るだろうか、と思わざるを得ません。この世での肉体の生が終わったということと、宇宙の起源から終焉やらナントカ方程式の解き方やらがわかるようになるということは、別段なんの関係もないのである。死んだくらいでなんでもわかるようになるわけがない。

まあそう思ったいきさつは、ネット上だけで親しくいろいろ話をしていた方がある日突然ぶっつりと音を立てて音信不通になり、何かあったのか、意図的に消えたのか不可抗力か、一体どこのどなたさんだったのか、何一つ私にはわからないままという事実の前で、途方に暮れ、ひどく不安定になり、逃げ道のようにそのような考え方に流れていったわけです

せめてわたしが死ぬときには、〇〇さんがどうして突然消え失せたのかわかるのだろうか、せめてわかるといいのだが、と思ったのですね。まあ、今では、「人にはそれぞれの事情がある」という一文で、終わりだな、とわかっていますが

打鍵しています。

進んでます。吾郎が苦労しています。お疲れ様です。ガンバだ吾郎。

拍手して下さった方、ありがとうございます!

以下拍手御礼です

> Mさま

うおーありがとうございます!こんなインチキ虹小説を楽しみにしていてくださる方がいるよ…

お言葉本当に励まされます。吾郎と二人で頑張りますね!

「俺は?」金持ちはひっこんでろ

Mさんは先生より吾郎の方が、より贔屓なんですね。ていう人の方が多いですね(笑)やっぱ人徳ですねえ。「照れるっす」「なによ、大体ね、俺が」金持ちはひっこんでろ

とにかく張り切って打鍵します。お言葉誠にありがとうございました。