GRJ日記

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ジャングルの王者ターちゃん

今日は

ジャングルの王者ターちゃん

アニメにもなりましたね。どう見ても青年誌向けのギャグだろうと思われる部分は案の定やんわりと回避されつつでしたが(自分のキン○マを舐めて気持ちよくなるとか、そういう)

ジャンプで最初は7ページだったか、そのくらいのボリュームで一話完結で連載していたのが、途中から普通の漫画同様の形態になりました。その後結局20数巻くらいですかね、連載して終了。最後が、新しい話が始まって少しやった所で打ち切られた形になってたように思う。確かタルるーと君もそうだったし、電映少女もそうだったわ。なぜキリよく終わらせてあげないのだろう。新しい話であわよくば人気が盛り返すかも、と思ったらダメくさいからやっぱりもうやめよう、て流れなんだろうか。貧乏臭いなあ。引き上げ時期や終わり方くらい腹をくくって作者さんに任せてやればいいのに。北斗も正直言ってラオウとの戦いから後は長い長い付け足しの感が否めない。いや、カイオウ編こそがいいという人もいるかも知れないから断言はしないけど、でも辺境の地を行脚をして皆に幸せをもたらす水戸黄門かルンルンみたいなケンシロウの部分はやっぱり長い付け足しだと思うの。

って脱線しまくりですみません。

ターちゃんは7ページ程度の連載の頃はとにかく「ジャングルに捨てられていた赤ん坊がサルに育てられて、恐るべき怪力と俊敏さを身につけ、動物を話が出来る心優しい男に成長した。奥さんは昔はグラビアクイーンだったが今ではただのデブになってしまったヂェーン。悪妻にコキ使われながら、彼は今日も密漁ハンターと戦うのだ」

の設定で延々やっていました。普通のボリュームになってからは基本的に、ターちゃんを戦力としてスカウトしにとある団体がやってきて、敵対する奴らと戦って最後は味方に勝利をもたらす、という形を繰り返していました。

幾度か「かつてジャングルに捨てられた赤ん坊というのは我々の血族のひとり」という、ターちゃんの出生の秘密が解ける逸話もはさまるのですが、その度に「実は違うようだ。ターちゃんは我々なんかよりずっと大いなる力をもった存在」のようなやんわりとした否定で終わって結局謎のまま保留されてました。

ターちゃんは素朴で野生的で助平でかわいコちゃんに弱く心優しく、ピンチの時には動物たちから「ターちゃんがんばれ」と言って力をわけてもらえる。悟空の元気玉みたいなものです。ターちゃんの良さとはその素朴さ純朴さと同時に、大人であることではないかと思います。

ジャソプの主人公は成長期にいる少年や青年であることが多い。彼らは戦いの中で悩んだり迷ったりして、人に八つ当たりしたり他人を傷つけたりします。子供ですからしょうがないんですが。でもターちゃんは大人の男性で、自分のしんどさを他人にぶつけたり人を傷つけたりはしない。むしろされる側。されながら困った顔で頭をぽりぽりかいたり、「大丈夫だから私に任せるのだ」と笑顔で請け合ったりしてやる。そこらの度量の広さが好きだった。

そしてヂェーンが本当はターちゃんの最上の理解者であり、縁の下の力持ちであること、なにより彼女が恋人やガールフレンドではなくて妻であることが大きかったと思います。

原作者の徳弘氏はターちゃん以後数本連載したけど鳴かず飛ばずで、その後青年誌に移りました。そこで見せる狂気の迸りはすごかった。もともと作品の内側にあるのが成人の感覚であり視線なのでしょう。単にシモネタが強烈とかではなくてね。その成人の姿勢がターちゃんでも時折顔をのぞかせていました。戦うマシンにされてしまった弟が力を振り絞って自分をいじくっていた奴らを倒し、崩れ落ちて、「兄さん、ちっとも痛くないんだ」と言って笑うのに対し兄が滂沱と涙を流しながら笑いかけてやるシーンとかね。切なかったなあ。

「ふんどし刑事ケンちゃんとチャコちゃん」っていう成人向け漫画も昔描いていましたが、これも好きだった。ゲイの刑事がまあ、えげつないんだ。婦女暴行の犯人を捕まえて「おまえにも同じ思いをさせてやる」っていってシリをね…オェェェ(笑)

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