GRJ日記

サイトの日記代わりです。やや古いマンガやや古いアニメやや古い特撮(略)大好き。

嵐の夜に 秘密の友達 絆編

漢字に変換して書くとなんか隠微なムードが漂いますな。「団地妻」とか「四畳半」とか、にっかつロマンを思い出す

どういうわけだか第一作の出会い編を観てしまったので、その続きである絆編も観ざるを得ないことになり観てきました。

まあでも前にあったアニメ映画で展開していた筋書きと大体同じです。オオカミが記憶喪失になってヤギを食おうとし、「こんなことなら出会わなければよかった、あの嵐の夜に」と叫んだら記憶が戻ったというくだりはありませんでしたが。

まあでも両者がそれぞれの所属していた団体を抜け、濁流に飛び込んで逃れ逃れて、オオカミたちに追われながら逃げ続けるくだりは同じです。

ラストは二人で遠い遠い、雪をかぶった山脈を見て

「あの山の向こうでは、ヤギとオオカミが仲良くしているかも知れませんよ」

「そうでやんすかねえ」

「きっとそうですよ」

「そうですね」

そう言い合って、はるかな道を二人連れ立ってゆく、というシーンで終わりです。

うん、私は、この二人こそが正しく、この二人を認めないオオカミたちやヤギたちが間違っているとは思わない。オオカミとはそもそもヤギを食べるもので、ヤギは草を食べオオカミに食べられるものである。そのさだめに逆らってしまった、食べる対象、食べられる相手に愛情を持ち合ってしまった、敢えて持とうと思ったからではなく、不可抗力で持ってしまった。彼らの方がイレギュラーな存在なのです。

そうなったらもうただの普通のヤギやオオカミには戻れない。その覚悟が二人とも揺るがないのは、いいなと思いました。まあ各々の団体に「やつらの居場所やエサ場を探ってこい、そうでなければ群れには居られないぞ」と言われて惑うシーンはありましたけど、でも二人とも結局、本来自分たちがあるべきところからはみ出してでも(それはとりもなおさずオオカミの群れに追われ、捕まれば両者とも殺されるという意味である)相手を選んだのよ。

濁流を見つめながら、ヤギが

「私何も怖くありません。ガブと一緒なら」

そう告げるシーンがあって

長い平和で平凡な、ヤギとしてまっとうな一生と、こんなに峻烈で鮮烈な思いを知った、もしかすると一瞬で燃え尽きる炎のような短い一生と、どちらが幸せであろうかなとしみじみ思いました。

アニメだとヤギは男の子で、「男女の恋愛の形にしたくなかった」「強い友情が昇華して全ての愛情を内包した形になると思う」みたいなことがパンフに書いてありました。

今回のCGアニメは完全に女の子として書いていたと思う。女の子だと確かに自然なんですね。守り守られる形がね。アニメの方の主張もよくわかります。男女の愛であればひとつの完結をみるけど友情だと終わりがないですからね。ハッキリした確証がない、頼りになるのは自分の気持ちだけみたいな。まあ普通の友情であればね(笑)普通でない友情ばかり扱ってますが

どちらにしてもこの二人の前途は多難で、いつまでも追跡者の影に怯えながら逃げ続けなければならないのでしょうが、それでも満月の夜には並んで同じ月を見て、今ここにこの相手と一緒に居られる幸せを、なにものにも変えがたいと確認しあって生きていくんでしょうね。

頑張ってね。

うちにもよってくれ。

ジョジョ打ってます。

アニメ、17話でエシディシと戦うんでしょ?もうずいぶん来たよね。

ねえ、3部までやらないの?3部のオープニング曲も誰かに作ってもらってさ。ねえやろうよ。ついでに4部まで行こうよ。仗助くんの「グレートですよ、こいつぁ」が聞きたいよー

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