今日は
「忍ペンまん丸」
これはマイナーだな。知ってる人の方が少ないと思う。
「ぼのぼの」で有名ないがらしみきお氏の漫画で、月刊少年ガンガンに連載していた、一応は少年漫画だろう
場所は日本のどこかで、登場人物はみんな動物です。でも人間のように服を着て立って歩いて、忍者の一族として三つ巴の戦いを数百年繰り返している。伊賀と甲賀と念雅。
主人公はペンギンの子供が念雅流に弟子入りした所から始まる。彼にまん丸という名前を付けたのは七代目頭領のネンガ(代々この名前)という熊で、まん丸は兄弟子のツネ次郎とタヌ太郎と共に修練を始める。
…冒頭部を説明するとのどか~で、子供っぽい印象を受けると思いますが、内容はシビアでハードで、そしてセクシーです。
念雅流後継者だけが吹ける天容の笛というものがあり、それを持っている間は歳をとらないで若いままでいられる。死ぬこともない。
ネンガにはギオという弟が居て、ギオはネンガを倒して笛を手に入れてやろうと野望を燃やしてくる。そのギオとの戦いが全体の大きな流れです。まん丸は主人公だけどメインの流れには居ないというのが珍しいわね。
ギオはネンガに本気で戦うことを望むけれども、ネンガはギオのことを大事な弟と思っていて、本気では戦えない。だがその優しさこそがギオにとっては屈辱で、怒りと憎しみがますます募ってゆく。
お互いに相手がかけがえのない存在であるのに、あるからこそ、ねじれて破綻してゆくのです。
…しかし、ギオったらネンガのこと想い過ぎ!本気で戦え本気で戦えってもう、ダダこねるこねる。「兄は弟の考えていることはわからんものだな」ってあなた。ほとんど告白。
ギオを自分の手で倒すことを決心したネンガのすさまじさは、ちょっとなかった。「全て覚悟の上じゃ。…お前を失うことも」って言う姿の、寂寞がたまらんかった。バカだなギオ。あんなに兄に愛されているというのに。最後、自分が天に落ちながらネンガ、ネンガァって叫び続けてたけど、それを聞かされる兄の気持ちを考えろ。
そして、先代のネンガの息子である紫狼沙というオオカミが居るんですけど、これがまあ、凶悪なかっこよさと色っぽさでございます。なんといっても、ネンガとの距離感が絶妙なんだ。こんなぐっとくる距離感の関係をもっている間柄って、他で知らない。
まん丸たちに忠告してくれたとき、タヌ太郎が「どうして敵のお前がおれたちを助けてくれるんだ」と訊くと、それに対して
「俺は敵ではないぞ」
一拍おいて
「味方でもなかろうがな」
まさにその感じ。ネンガとはかつて地面にとてつもない大穴を作ったような戦いをしていて、腕前は互角の強大な敵であるんだが、でも共通の敵に対した時すぐに意思の疎通がはかれて、共同戦線も張れる。何より相手の強さを誰よりも肌で知っている。剣鳥が襲ってきた回で、ネンガがあっという間に相手をひねった時、乱子が「すっげえ、ネンガって強いんですね紫狼沙さま」って言うと、紫狼沙はただ背を向けて「さあ行くぞ」って微笑して言うの。その『当たり前のことには返事しない』って感じの態度にまあ、もえるのなんのって。
まん丸はアニメにもなって、アニメはもう子供向け全開でしたが、それでもギオがネンガを捕らえて十字架の形に磔にしていたぶったり、人質をとられて仕方なくネンガと紫狼沙が戦ったり、なかなかイイところもありました。
ただ…
アニメの中に出てくるキャラを漫画に出したり、雑誌で読者のちびっ子が考えたキャラを漫画に出したりといったことをするようになってから、明らかにそれまでの世界観やストーリーから離れてしまって、子供子供した展開になってしまったんですよ。
最後の頃はアニメも終わったせいか再び作者の手に全部戻ってきたって感じで、それまでのほのぼのをぶっちぎるような展開になって終わりました。だからシリーズの最初の方と中途と最後で、「読んで、受ける印象」が違うお話になってしまった。
全部が全部作者の手によるものだったらもっともっと違っていただろうに、と思えてしょうがない。もったいなかった。
あと、これは他の作品でも時々見かけるけど、後から謎の真相とか「実はこうだった」を思いついて展開すると、序盤のあの人がこのことを知らないのはおかしいとか、歳の計算が合わないといった矛盾が生じることがありますが、この作品もちょっと、そういうところがある(笑)
で、言いたいことは、ギオ×ネンガでやらかす人の気持ちはよーくわかりますけれども、私は絶対に紫狼沙×ネンガですということでした。はい。…ブログでしちゃいけない話になるのをどうしても止められん
ああ、どこかに忍ペンまん丸の話し相手になってくれる人いない?ねえ、いない?
拍手してくださった方、ありがとうございます!