本日はおめんらいだークーガ。
つい、特撮は婉曲表現してしまうな。しょうがないね。もはや習い性。条件反射。
2000年から始まった平成ライダーシリーズ第一弾です。
おめんらいだーは最初から一年間の50回とわかっているわけで、最初から謎の重なり具合とか伏線の位置とかバラしていくタイミングとかをしっかり考えて作っていける筈です。途中で脚本家が変わったとか視聴率がどうとかでフラつく作品もあるようですが、クーガは見事だったなあと思う。まあ一発目だから腰を据えてじっくり準備できたってのはあるんでしょうが。
主人公は五代雄介といって冒険家の青年です。
実に不思議な男なのだ。あらゆる解釈がなりたつというか。単に、素直でまっすぐで陽光のような、大地のような大空のような風のような(笑)柳のごとくしなって折れない男。とすればそれは正解なんだけれども、この男がそれだけではないというのはわりかしチビッコや主婦でもわかるんじゃないだろうか。
本当は戦いたくないのに、次第に身体を秘石に蝕まれてゆきながら、憎しみに精神をのっとられそうになりながら、どこまでも他人のために戦い続ける、と書くとまるで初代ライダーそのものであって、いしのもり先生が作り出したようですね。イレギュラーなライダーだって言われてたけど、きっちり正統なんだよね。
あの男が最後に変身する間際の、「俺よかったと思ってます」の後の笑顔が、ものすごく痛々しくて、「ああ五代はこんなところまで来てしまったんだなあ」としみじみ思った。
普通、主人公って必ず途中で一回俺はもうダメだって挫折したり、投げやりになったりヤケクソになったりするじゃないですか。まるで人間なら、あるいはまっとうなヒーローならその段階を見せるのが条件であるかのように。
でも五代はそういう、自分の中の苦しみとか腹立ちとか自暴自棄を決して他者に対して見せなかったのよ。決してなにも感じてなかったわけではないの、むしろその逆でね、最終決戦に臨んで、戦いの喜びに笑っている相手を、泣きながら殴っていたのですから。血糊を口に含みすぎてちょっとあっぷあっぷ状態で。それはいいんですが
どうして感情をぶつけなかったの?と尋ねたら、「俺はもうだめだ」「もうどうにでもなれ」とか、言ってる暇もないんですよ、相手が強くてね、と困った眉で笑ってみせるであろう五代は、強さをウリにしている男より遙かに、とてつもなく強いのだということ、そんな男だからこそあの戦いを乗り越えられたのだということを思います。
もう一人の主人公である一条という刑事。
彼が居なかったら五代はもしかしたら赤いクウガになれなかったかも知れないし、最後まで戦えなかったかも知れない。と、言ってみると、五代であればきっと一条が居なくてもなんとか戦ったんだろうな、と思えてしまうのがまた切ないところですが
苦悶を表に出さない五代のために苦悶し、「あいつはあんなにがんばってくれている」と誰よりよくわかっている。序盤なんかは誰も知らないけど一条だけが知っている。
観ているこちら側のために居てくれた面もあるんでしょうね。ハンサム刑事。活躍してたんだよ、五代を支えていたんだよ。アイアンキングの石橋正次の如く。「五代、水を飲め!」
五代を早く戦いから解放してやりたい、その日が来たら別れることになるのは寂しいけれども、本心からその日が来ることを祈る。実に男らしいね。拍手を送りたい。
ウィキに、一条氏について
「五代とは次第に篤い友情で結ばれてゆく」
って書いてあって、それがなんかとても、胸が熱くなりました。まさにそうであったなあと思った。
今日はこの辺で。
また今度親指立てにきます。
> blog開設おめでとうございます の方
いらっしゃいませ!お声ありがとうございます。
特撮の話もしていきますのでどうぞお声くださいねー
どんどんもえ語りしたいと思います…冬で寒いですからね。
あったまろうという感じで。
えっ、サーチできたのか!いいえ知りませんでした。
入りますよー寂しくてかなわないですもの…どんどん減っていく一方ですからね。
多少むりやりでも燃えなければ。必死だな(笑)
教えてくださってありがとうございます~