GRJ日記

サイトの日記代わりです。やや古いマンガやや古いアニメやや古い特撮(略)大好き。

お返事

これからは昼がどんどん短くなっていくのかと思うと寂しくて目に涙が溜まる。

お返事です。
お声ありがとうございます!

 > YR様

こんにちは!ぎんなん、臭いですね(笑)スタンド使いに居ないかな。腐ったぎんなんをぶつけてくる攻撃。精神ダメージ大。あとは虫の鳴き声を再生するスタンド使い。「コロコロコロコロ、スイッチョスイッチョ」「風流だねえ」「ありがとうございます」誰だ。
チョコ先生、人体をどのくらいまで切っても生きてるか知ってることと、背骨でジャンピング出来るってことは別ですよね。チョコ先生のぴょんぴょんトレーニング。シュトロハイムあたりと意気投合するのでは。ドイツの科学とイタリアの医療が合体。怖すぎる
4部は「仗助が居るから、死にさえしなければ治る」だったのが5部になったら「ジョルノが居るから、舌でも手でも作ってもらえる」になり、ちょっとその、「怪我しているのを治す」っていうことは、その人の、裂けたり折れたりした繊維や筋肉や骨や血管を繋げ元通りにする、てことなのはわかるんですが、無くなった部品を作るって、どういうことだ。もともとあった手とは似ても似つかない手にならないのか。本人の「こういう手だった」という記憶で作られるのか。ではかつての古傷も一緒に再生されるのか。治りかけのかさぶたも?考え出すとキリがありません。ナランチャの死もホントに意味不明です。「過程をすっ飛ばして結果だけを手に入れる」能力で、どうやってナランチャをあんな高い場所に持ち上げて串刺しにしたんですかね。ナランチャは別にボスに攻撃を仕掛けたわけでもなく、ただ皆と一緒にきょろきょろしてただけでしょう。時を止められるというんならわかるんですよ。あの辺は正直、「ボスの能力ならできる。できるったらできる」って言い張ってる感じです。「ボスはレーダーであるナランチャを最初に狙ったのだ」「ブチャラティ、それよりボスはどうやってナランチャを」「油断するな!まだ近くにいるぞ」「ブチャラティ」「うるさいッ俺に訊くな」
3部はガタイのいい男くささムンムンでお願いしたいです。殊に花京院リタイヤ中のンドゥール後~DIOの館のムンムン率がすごいです。ダービー兄戦前のアイスティー一気飲みのゴツさよ。あれに比べて5部の回想シーンのポルナレフが痩せてて、ワンショルダーの服が黒い下着みたいだった(笑)5部ナレフはほんとエマニエル夫人みたいですね。ポルナレフ夫人(笑)
最近のアラキ先生の絵はどうも苦手です。目が死んでるし(笑)あっわかります!柱の男が腰に手を当ててふんって立ってる姿からガーッとカメラが引いて、地上のジョセフとシーザーが各々の表情で構えるやつ。私も大好きです。柱の男の威圧感、偉大さ、人間ごときは短命で脆弱で地べたを這う虫ケラよ、な貫禄。そういったものを納得させてくれる絵柄でしたね。絵で主張し、絵で説明していた。絵自体に魅かれますもんね。マンガはやっぱりそうでないと。
そうそう、ラテン系です!歌い手というのもいいですね。あと、その恰好でフェンシングの細身の剣をもてあそんでる様子とかいいですね。わかったわ。ポルナレフが盗賊なんですよ。目のところ隠す仮面付けて。忍び込んだお屋敷にはアヴドゥルさんが居て、「コソ泥め。これが欲しくて来たのか?」真っ赤なルビーかなんかを示すと「それは我が妹の形見だ。還してもらう」でまさかのフェンシング対決。もえる。あれだ、昼間は仮面を付けないで「お初にお目にかかる。ジャン=ピエール・ド・ポルナレフ子爵だ」「どこかでお会いしなかったか?」「いや」とか会話するのかな。いったいどこのラセーヌの星。あとは仮面を弾き飛ばされてしまってうろたえる喉元に剣を突き付けられる場面ですね。「バカな、この俺より強いだと…!」ラ、ラ、ラセ~ヌ~♪
アヴドゥルさんの髪は一体どうやって作られるのか。どれが正解なのか。気合の入ったコスプレイヤーでもアヴドゥルさんに挑戦している人は見たことないですね。叶姉妹でも無理だろう(笑)お姉さまがやってるアヴドゥルさんとか、怖い夢をみてうなされそうです。髪をほどいていくそばからチリッチリになっていくのは嫌だし、コシが強くないとダメですね。ポルナレフの髪も、全部上に上げたところでズバッと真横に切ったみたいな髪ですから、下ろしたとしたら頭頂部の髪は短く、前髪やサイドは長く、襟足の辺りは更に長い筈。ちょっとフォーク。デビューしたての頃のナガブチ。
ねえ!最後だけはポルナレフが助けてふたりで生還って、胸アツですよね。「ポルナレフッ!」「やっと、俺が助ける番だぜ」ニヤリ。そして炎のスクリーンを丸く切り抜きながら現れた顔の真正面から合体技。どうしてこうならなかった。
ふたりと一匹でヨタヨタ戻ってきたのを「おお、お前たち」「無事でしたか!」(良かったぜ)ああ、どうしてこうならなかったー
そうですねえ、ポルナレフは、部をまたいで本当に重要なキャラになっていったなあと思いますけどね。個人的ないきさつでかかわってきていた明るくて浮わついたキャラが、物語の主幹を支えたり動かしたりするポジションに居るようになり、それは物語の中で戦い成長したがゆえなのだ。なるほど。フムフム。…ほかの人にやらせて~
やっぱりね、普段はアヴドゥルさんに教わることが圧倒的に多いと思うんですよ。ただ、そういった、ギャンブルとかカードゲームとか、ルールのある遊びに関してはポルナレフの方が詳しくて、すごく得意げな顔が目に見えるようですね。私昔別のジャンルで、ふたりだけで王様ゲームをする話を書いたことがあったんですが、このふたりもなかなか良い顔を見せてくれそうです。「わたしが王様だな。では命令する」「ゴクリ」「何を期待している?」的な。あとは「俺が王様だぜ!さあ何をしてもらおうかな!」「なんなりと、王よ」「え、えっと」ドギマギ
うわぁーとろろ動画ご覧になったですか!心の底からお疲れ様です。いや、よく考え付くわ。そして書くわ。普通、ちらっと思ってしまっても書きませんよね(笑)そこがやはり狂気の天才ですね。書いてから文章を推敲したのかと思うと胸やけが止まらない。
時をかける少女、観たはずですが覚えていません。最後の大人になった設定の姿を見て、ボブのかつらデカすぎると思ったことだけ。でもあれで原田知世にハマって一生もののファンになった人沢山いますよね。その後のカドカワ映画にも何本か出てますけど、時をかける少女が圧倒的独り勝ちですね。
キングが、「ジャック・ニコルソンが出る時点で、どこにでもいる平凡な男の話ではなくて、ひとりの奇人の話になってしまった」と言ってるのは見て、なるほどなと思いました。キングが描きたかったのはそういう話ではなかったんだというのが象徴的に表れていました。キング作品では他に空条、ではなくてクージョ、ミザリー、キャリー、クリスティーン(運命の車輪にもちょっと使われてます)などを観ましたが、やっぱり原作の方が怖いし深いです。でもグリーンマイルの映画は結構善戦してたと思います。トムハンクス等のキャラクターの力が加算されてました。
モッツァレラチーズ、確かに原作連載の時代には誰も知りませんでしたね。娼婦風パスタとかも。さらっと話に入れてくるあたりがお洒落です。あの時代のマンガは「スパゲッティ(パスタなんて言わない)はスパゲッティ(ナポリタンかミートソースのどちらか)、チーズはチーズ、ピストルはピストル以下同」でしたからね。
私も、ペッシが最後ブチャラティに貶されるようなことはないと思うんです。堕ちたってひどすぎないか。やってることはお互い同じだろう。そうですね、ひとこと、「残された暗殺チームの仲間たちが少しでも楽になるように、お前の部下を減らす」的なことを言えばよかった。ペッシだってそういう気持ちだったんだろうし。ペッシが強くなったらそれはもう、なかなか勝てる相手はいないよ。兄貴だってリゾットだって勝てないだろう。「俺は手も足も出ねえなぁ~」←ホルマジオ
そうなっても兄貴のことを頼りにし、兄貴の前ではママっ子なペッシを可愛がる兄貴とか見たかったなあ。「オメーはもう一人立ちしたんだぜペッシ。いちいち俺のご機嫌伺いにくる必要はねーんだぜ」「そんなこと言わねえでくれよ兄貴ぃ。オイラが来たら邪魔かい。迷惑なのかい」「迷惑ってことはねえがな」「じゃあ来てもいいんだね兄貴。ああよかった」「ふ。仕方のねえ野郎だ」とか。打ってて悲しくなってきました
深夜アニメは結構、手足や血は飛びますよね。エッチだし。大昔ワンダフルという中途半端なお色気番組で「すごいよ!マサルさん」とか「鉄筋家族」やってたアニメ枠で「AIKa」をやっていて、あずまみきひさが「すごいエッチだ、いいのこんなの流して」と興奮していたものでした。
輪切りのソルベの方がずっと残虐ですよね。まあでもあれにぼかしいれたら画面全部真っ黒になるのかな。審判戦はとにかくぼかし含めて狙ってるのかと思うようでした。「つぐなってもらおう、お前の身体で!」「何をされても文句はねえ」涙。なにを、なにをされているのだポルナレフ
あー、自分を食べさせて愛する相手の蘇生。なかなかに妖しいですね!ジョセフとドッキングだの、ボスの側近ホモコンビだの、ナランチャは見た!ミスタとジョルノが!だのより、ランクの違う妖しさです。しかし、本物のアヴさんはどこからどこまで見てから現れたのだろう。もちろん、ずーっと見てからおもむろに腰を上げてやってきたんじゃないとは思いますけど、でもポルナレフの贖罪とか自責なんかを見て聞いてはくれたと思うので、嬉しかったろうな。いけない喜びですが。
「いくらDIOでもあの短期間にあれほどの数のスタンド使いを探すのは不可能。だから弓と矢で増やしたのだ」ていうことになってますけど、まあそれは例によって後付けで、3部のスタンド使いで弓と矢でスタンド使いになった人はいなかったんじゃないかなと思います。なんかもう皆自分のスタンドを使いこなして十数年(死神13はイレブンマンスでしょうが)経ってる感じのこなれ方ですし。
イギーの脚がもげた時には本当にハッとしました。これまでのおちゃらけおふざけ要素は全て終わりましたって言われた感じ。承太郎と花京院の握手はすごくグッときましたねえ。原作の承太郎の口の形が変で(笑)あれはきっと感無量で口が曲がったのね。実際に売り出された例のグラサンを外した時の表情とか、ああそれから、あの辺りの絵が、3部として一番洗練され、凝縮された絵柄だと思うんですよ。その絵で描かれる、アヴドゥルとポルナレフの、館に突入前の最後のシーンは、多分もうご覧になったことと思います。
切ない。あのアヴドゥルの言葉よ。そんなことの出来る人でないことは、誰よりもポルナレフがわかっていて、でも敢えて「わかったぜ」と言い、そしてがっちりと手を握り合う。
最初は敵として出逢って、戦っていたふたりが、今最後の地でこんなふうに手を握り合ってるんだな、と本当に涙が出るようでした。そしてあの言葉よ。
ああ、豪勢な晩餐を楽しんでほしかった、二人と一匹で!
…と、天を仰いで嘆いて、たとえこの後別れが来たとしても、それでも一緒に居て幸せになって欲しいんじゃーという気持ちでもって書いた話を、支えにしてくださって、YRさんありがとうございます。その、ほとばしるような気持ちは十分ご理解していただけると思います。捏造ラストバトル、生還、生存エンドもいいんですけど、原作を?遵守して?その上で?幸せになってもらおうじゃないの。こうやって結ばれたふたりをまた別れさせたりつらい思いをさせたりすることが、原作ではもう出来ないよねえ、だって死んじゃったんだもんねえ?(逆ギレ)な気持ちで書きました。ギャングたちには悪いけど5部ナレフの未来は消えました。ポルナレフ夫人はなしで。ふたりは二度と別れないでエジプトで幸せに暮らしているんですハイ。文句があるか。アヴドゥルさんがフランス語の歌をムードたっぷりで甘く甘く歌って、聴いてるうちに腰砕けになったポルナレフを笑いながら支えて「大丈夫か」なんて言う、そういう毎日を送っているんですー。もう原作者の手の届かないところで幸せになってるんですー
あ、テレビ視聴について、この後熾烈で苛烈な馬韮戦となりますが、最後の最後につらく美しいシーンがありますので、それまでお待ちください。それを見ても多分泣くと思います。全然嬉しくないご案内ですが。
それではどうぞまたお声下さいね、お待ちしております。