GRJ日記

サイトの日記代わりです。やや古いマンガやや古いアニメやや古い特撮(略)大好き。

海のトリトン

原作漫画はテヅカオサム先生ですが、アニメとは内容が全然違う。そういうのは昔は沢山ありました。ゲッターロボも全然違う。デビルマンも全然違う。ミクロイドSも全然違う。宇宙戦艦ヤマトも全然違う。マジンガーZは大まかな流れは同じだけど細部が随分違う。まあ、原作漫画がしっかりあってそれをもとにアニメ化するのではなくて、ほぼ同時スタートのようなシステムだったせいですが。現代において『原作漫画とそのアニメ化したもの』といった時に、話の筋が全く違うといったことは多分、滅多にないと思うんですがどうでしょう。それはむしろ実写化映画の暴挙に出た時によく見られることですね。フハハハ。忍ペンまん丸なんかは相当違ってましたが、あれはそれこそ大昔の「テレビ漫画と、雑誌連載の漫画それぞれほぼ独立。人気投票やオモチャ化のことも考えてキャラクターやストーリーを作っていく」みたいな流れに近かったからかと思います。

原作漫画があって、アニメもある、となった時には大概は「原作の方がいいに決まってる」「原作を読まないと、その作品の本当の良さはわからない」という流れになります。でも、その「漫画とアニメタイアップ黎明期」みたいな時期には、このアニメ負けてないわ、このアニメこそがすごいわ、という作品も時々あります。その代表作がこの、海のトリトンだと思う。

なんたってオープニング曲の良さよ。誰もが知っている名曲と言いたいが、知らない若者もいるんだろう。もし居たらぜひ、オープニングフィルムを観て下さい。多分、「なんだかわからないけど胸が打たれる」と思うよ。歌っているヒデ夕樹という歌手はヒデとロザンナのヒデだと思いこんでいましたが別人でした。でも声似てないか?そしてネタバレしますが、冒頭部で爆発するシーン、あれは実は最終回に起こることなのである。行き当たりばったりじゃなくて、最初からすっかり考え抜いて作ってあるって、いいなあ。

出だしは時々見かけるタイプの展開で、小さな村の中で異端となっている主人公、彼はその昔海辺で拾われたみなしご。髪が緑で、とんでもなく泳ぎがうまくて、なにかどこか普通と違う。拾った時に「この子の名前はトリトン」と書置きがあったのだが、日本の田舎の漁村でその名前を付けた育ての親のじいさんは律儀だ。一平じいさんというんですけど、普通はその書置き見なかったことにして「三平」って付けると思うよ。多分釣りもうまいんだろうし。彼が村で白眼視された理由のひとつはその名前のせいだと思う。

ある日そのDQNネームの少年の前に白いイルカが現れて、「あなたはトリトン族の生き残り。世界の海を征服しようとしているポセイドン族と戦わなければなりません」と言ってくる。最初は「このイルカ喋った」と至極まっとうに驚いている少年だったが、突然海にモンスターが現れて漁場を荒らしだす。ポセイドン族が放った魔物で人間の敵う相手ではない。イルカは「あなたの親が残した服と短剣がある筈だ」と言い、探してみると行李の奥からそれが出て来て、鞘から抜くと赤く熱く輝いて少年はその剣で魔物を倒してしまう。一平じいさんは少年をひきとめるが、彼はその手を振り切って海へと出て行ってしまうのだった。

今ではよくあるパターンかも知れませんが少年少女にとっては心躍る、つかみはオッケーなスタートではないでしょうか。子供らは皆「ある日、自分のところに使者が来て、あなたは特別な存在。あなたにしか出来ない使命がある。今の生活すべてを捨てて旅立つのですと言って来たらどうなるだろう」と思うものである。そして「そうなったら、パパもママも兄弟も友達も全てと別れて、たった一人夜の海に旅立たねばならないのだ」と、寂しさと冒険心の両方で胸を震わせるものである。

以前、私は自分のサイトで、上記のようなことがあなたに起こったらあなたはどうしますか?とアンケートをとったことがありました。私は「旅立つ」という答えが多いかなと想像したのだが、予想以上に「旅立たない。今の暮らしを取る」という答えが多かった。別に、「皆、背中の翼を失くしたんだな」とか、「大人になるってことは、いろんな重石がからみついて下に引き下ろして地面に結びつけるってことなんだな」とか言いたいわけではありません。へえそうなのか、とちょっと意外だったというだけです。でも、子供であれば、たとえ、今の生活に不満や不安がなくても、見知らぬ世界へ誘われたら旅立ちたいと思うのではないだろうか。これすらも勝手な思い込みであろうか。自信がない。

トリトン族の生き残りだからトリトン。惑星ベジータの王子だからベジータですね。同システム。あとトリトンの声は塩谷翼という人で、数十年後にツェペリ男爵としてジョナサンに波紋を教えに来るのである。最初ぶったまげたけど、よーく聞いてみると確かにおもかげがある。声のおもかげ。

で、なんたって有名なのは最終回のとんでもびっくりな種明かしです。ポセイドンは何故トリトンを目の敵にし続け、執拗に殺そうとしてきたのか。その理由がわかるのですが、これも現代なら「片方の正義が、もう片方にとっては悪」「連邦軍ジオン軍も、共に地球人」のあたりはよく見かけますが、「悪い宇宙人が攻めてきた!勇気ある少年たちよ、迎え撃て!」ばかりだった時代の子供にとっては、相当ショッキングだったと思います。「さあ、いよいよ最終回。悪いポセイドン全滅だ!頑張れトリトン!」と拳を振り上げていたのに、30分後には黙ってしまっておやつも喉を通らない。皆の仲間だった、皆のヒーローだったトリトンが、最終回で罪もない人々を皆殺しにした殺戮者になるというこの無残さ。思い切ったなあ。

そしてトリトンは、ポセイドンの神殿でなにがあったのか、仲間のイルカたちや、いいなづけのピピには明かしたのであろうか。自分が何をしたのか、皆に打ち明けたのだろうか。それとも全てを自分の胸だけにたたんで、『ポセイドンの首領』と一騎打ちをして、倒した、と嘘をつくのであろうか。時々、『お前のせいだ、ただ平和に暮らしたかった我々を、お前が殺したのだトリトン』という声を夢に見て飛び起きて、あとはもう明け方までまんじりともしないのだろうか。

この感じ何かに似ているなと思ったらナウシカの原作の最後の部分ですね。大きな秘密を自分の胸にたたんで、喜んでいる人々をそっと見守っている感じ。でもアスベルはあの、なんだっけ、土着の体当たり娘に取られてしまったが、トリトンにはピピがいる。そう思えばまだ救われる。

そしてこのピピ姫。こんなに長々と我儘で自分勝手で大威張りで足ひっぱりな存在が他にいるだろうか。多分、そうはいない。て言い切れるくらい、長々とトラブルメイカーで、トリトンと仲悪い。でも、本当に紆余曲折の果て、嵐の海で二人だけになり、ようやく心が通じ合う。そのひっぱり具合がとてもリアルなのです。そして一旦強く結びついたら、もう心が離れることはない。荒れ狂う嵐の海で、強く手を握り合い、顔を見合うふたりの姿は、とても自然でした。

そしてまた、旅の途中で助けてくれるウミガメや、アザラシや、敵の女などが、トリトンたちを助けるために命を捨てるシーンがものすごいトラウマものです。なんだろうあの生々しさ。ツェペリさんの最期並みに心にくる。殊にウミガメがなあ。たまらない。ウミガメに関しては原作よりアニメの方が印象深いです。

あらー随分語ってたわ。でも海のトリトンは本当に名作です。海の持つスケールの大きさそのままの作品。

そしてまた、最後のシーンで、トリトンに何て声をかけてやればいいのか今になってもわからないままです。