GRJ日記

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召喚魔法そろばん

あるブス、一万尺、仔ヤギの上で。違う。

計算尺をご存知ですか。

スライドする板と、透明なプラ版を組み合わせて、電卓のように計算が出来る。アナログの電卓です。

これもまた「電気を使わない道具」の仲間入りですね。電気なんか使わなくても計算できる。そろばんの色違い上位。そうだな、文房具モンスターの並びとしては、そろばん、計算尺、電卓でしょうか。

一番上位の電卓は一番素早いし知能も高く、10ケタの計算や複雑な関数計算も瞬時にこなすけど電池が切れたり水が掛かったりすると動かなくなる弱点が。そろばんは電池もいらないし水に浸けても大丈夫だけど、そろばんを召喚し使う側に相当の技量が必要。ううむ、そろばん使いの人間がかっこよく思えるね。

その中間に位置する計算尺である。父が持っていて、まだ子供だった私に使い方を教えてくれた。でも正直わからなくて、ヒトケタの足し算引き算くらいで終わってしまった。頭の中でやった方が速いっす。

でも子供心に、「計算ていうのは、一定の法則に基づいて為されるもので、それをおさえればこんなふうに、木切れとプラ板で電卓が作れるものなんだなあ」という感動をおぼえました。

多分、速さでいったら、電卓の方が速いと思う。でも、計算尺の中には数字の、数学の宇宙がある。数学のプラネタリウムがある。ロマンがある。美しい。て感じです。それは電卓やそろばんには感じなかった感動である。どの部分だろうかなあ。あの一見脈絡のない文字の並びが、古代のオーパーツを思わせるのであろうか。

しかしそろばんやってた人って、指先で虚像のそろばんを置いてちゃっちゃっとやって、それで計算したりする。仮想そろばんを操れるのね。かっこいい!さながら実体があるかのように操って同じ結果が出せるって、すごいかっこいいじゃないか。

志なかばで打ち倒れた仲間のそろばん。「そろばん!しっかり…しっかりしてくれ!」「すまん…おれはどうやらここまでのようだ」「そんなことを言うな!大丈夫だ、すぐ直してやる。すぐに直して…やるから…」「泣くな。いいか。これからお前はひとりだ。だが、案ずるな。俺はお前の中に生きている。お前が計算をしたいと思った時、そのいっとき俺はよみがえって、お前の力となる。忘れるな」「そ…そろばん…」「お前に会えて良かった」「そろばーーーん!」

それから彼が、計算をしなければならない時、彼の指先にはかつて共に戦ったそろばんの幻が現れ、彼の為に計算をしてくれるのであった。「そろばん、もう今更電卓なんかと組みはしない。これからもずっと一緒だ」『嬉しいことを言ってくれる』「えっ?」ふと聞こえた、かつての相棒の声は、空耳だったのか、それとも………

感動巨編はともかく、「そろばんの存在が、自分の中に生きている」って点は、確かだと思います。そろばん教室というのは、そろばんを召喚し操れるようになるための魔法学校ということですね。うーむ通っておけばよかった。

私繰り上がりのある足し算とかすでに暗算できませんからな。27たす38は。咄嗟に出やしない。えーと。

柱のお話バカスカ打っている。あとアヴポルもね。

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