GRJ日記

サイトの日記代わりです。やや古いマンガやや古いアニメやや古い特撮(略)大好き。

ベクシンスキーとか諸星大二郎とか

よく、不気味な絵の話になると必ず出てくるべクシンスキーという人が居ます。御存じの方も多いでしょう。 自分の絵にタイトルをつけなかった、他人に好き勝手な解釈をつけられたくなかったから、というのは今回知りましたが、なかなかシブいですね。

この人の絵は諸星大二郎を思い出させる。どちらも、「自分がこの場所に実際に行ったらどう思うだろうか」と想像させられ、そして「行きたくないのは勿論だが、どこかで行ってみたいとも思う」で共通する。べクシンスキーに時々出てくる、黄昏色というか、夕刻のような、砂嵐でもやってる救いのない埃っぽい砂の世界の絵、あれなんか特に、妖怪ハンターの最終話で深い深い淵の底に何か居るのがわかるシーンとか、マッドメンの最終話で地底湖のほとりに落っこちてしまった垂れ目の美青年が骨でつくったカヌーに乗って旅立つところとか、暗黒神話でタケシが最後に辿り着いた遠い未来の地球の風景を思い出す。巨大で広大で遠大で果てのないものの隅っこに自分が引っ掛かっていると思う恐怖というんですかね。それから時々、船にのって海に出ることがあると、「今この場所でこれを海に落としたら、これは無くなるわけではないが、もう二度と決して見つからないのだなあ」と思って、ものすごく怖く、そしてまた今言ったような「自分はものすごく巨大なもののほんの一部に引っ掛かっているちっぽけなもの」という、なんというか、恐怖であってまたどこか憧れるようなものを感じます。あの気持ちとも似ています。

私がべクシンスキーの絵で一番好きなのは、ものすごく巨大な、それこそ進撃の巨人の壁みたいなのがずーっと連なってて、その下の下の下ーの方を小さな人間が灯りを持って歩いている。巨人の頭上の方には鳥が飛んでいるという絵です。

一時期、例の「怖い絵」シリーズの本を夢中で読みましたが、諸星先生の妖怪ハンターヒルコの絵とか庭の隅の物置の中で子供が飼ってたものの絵とかも取り上げてもらえる怖さだと思う。

個人的に、サザンオールスターズの「ステレオ太陽族」というアルバムの仮面。あれが当時なぜだかものすごく怖かったっけ。

それからこれは全然関係ないのですが、誰かの詩で

  その

  そこの

  そこのところへ。

というフレーズがあったなあ、誰のだっけ、と数年考えていたのですが今日図書館によって立ち読みしていたら石垣りんさんの詩だったと判明して大変スッキリしました。はい