GRJ日記

サイトの日記代わりです。やや古いマンガやや古いアニメやや古い特撮(略)大好き。

永遠の0

永遠の0を観てきました。

以下ネタバレしますので注意して下さい。

原作のある作品を映画化するとほぼ「原作に失礼だろ」とガックリするか、このくらいならまあいいかと妥協するのがいいところですが、これは原作に対して実に忠実だと思った。このくらい「原作通りだな」と思ったのはグリーンマイル以来の気がする。その点がまず嬉しかった。

原作は小説なので絵がない。ゆえに、宮部という名の主人公についてこんな容貌のこんな声のこんな口調の男、このシーンで見せる表情はこんな、と想像しながら読みましたが

その像は西島なんとかさんとか、おだぎりじょーとかの感じだったのです。で実写化する時おかだズンいちがやると聞いて、「ちょっとイメージ違ったな」と思ったのでしたが…

映画を観て「この人の演じる宮部久蔵もありだった」と納得しました。十分に説得されました。おかだズンいちの演技についてはあまり知らなくて(花よりもなほ、という映画を観たくらい。SPや木更津なんとかや天地明察は観ていません)演技者としてどうなのかはほとんど知らないのですが、この映画に関しては良かった。いろんなシーンのひとつひとつが主人公として決まっていた。

それに実は今までおかだズンいちを「ハンサム」として意識したことはなかったのですが、この映画の彼は実に美男子であった。多分、彼の精神がこの役と完全にシンクロしたからだと思う

登場人物は皆すごかった。橋爪功さん、メゾンドヒミコ、夏ヤギ勲、他にも沢山、それぞれ鬼気迫るものがあった。今まで観たことのないそれぞれでした。橋爪さんが、過去において自分を叱咤した宮部の声を再現した声とか、メゾンドヒミコがかつてとある場面でつらくキツく過酷な覚悟をきめた時の声や顔やカメラワークとか、胸をつかまれた。あ、メゾンドヒミコというのは田中みんのことです。

影浦という男は、原作でもずっしりと主張している役なのですが、若い時の役者も、現在を演じているたなかみんも、本当に説得力があった。

私はなにかというと「説得力」と言いますが、その役の人間が各々の場面においてどう思うか、どう考えてなんと言う人間かを、こちらに対してきちんと説明し、主張し、その役がありありと実在する人間であるかのようにこちらを説得して欲しいのだ。それは小説でもマンガでもアニメでもドラマでもなんでもそうです。「つくりもの」を発表する時点で全てのものに対してそれを要求したい。

脱線しましたが

影浦の、宮部への愛憎は本当に胸が詰まるのですが、今回の映画であんなにも生きようとしていた宮部が特攻に志願したと知って激怒し詰め寄る影浦に、宮部がなんともいえない手つきと目で、影浦の頭をなでるような抱えるような仕草をしていたのが印象的でした。戦争が終わった後、宮部の妻を二人の男が助けてくれましたが、はっきりどこの誰と表記されない方の男のエピソードが、シブいね。誰かは「わざとらしい」と言っていたけど、私は気に入っていた。そんな形で、宮部に対する尊敬や憎悪や屈託などの、他の人間には持たない思いを表す影浦が、なんとも言えずぐっときました。

思うのだがこの後影浦がもっと年とってメゾンドヒミコを建てるのではなかろうか(笑)寝ていることが多くなった影浦の枕元におだぎりじょーが座っていて、「昔、おれには憎い憎い戦闘機乗りが居てな」「憎い割には、穏やかな目で話すんですね」なんてやりとりをするのかも知れない。んん、マンダム

ほめてばかりいますが、ここからちょっと文句です。

終盤で現代社会に宮部とゼロ戦が現れてみうらはるまに合図するあのシーンはぜっっっったいに要らない。ほとんど泣きながら観ていたがあのシーンで涙がするすると引っ込みました。パンフでは監督が「ぜひ撮りたいシーンだったので勝手に入れてしまった」とか言ってましたが、あげなシーンを入れて喜んでるって、どういう神経、センスゼロ、と思いました。ああしらけた。でもあの部分が良くて泣いたと言ってる人もいたからなあ。人間はいろいろです。

とにかく語り部であるみうらはるまとふきいしかずえがなんというか、わざとらしくてオーバーで、「もっと淡々としてろ」と頭を押さえつけたくなった。あとふぶきジュン。正直いってあのひとの演技もワンパターンですな。八重のおっかさまと全く同じ。目をぎゅっとつぶって微笑んでうつむいて首を振るのだ。ひどいこと言ってごめんね

そして宮部は原作では、見事(と言っていいかどうか)敵の雨あられの艦砲射撃をかいくぐって敵空母までたどりつき、その甲板に落ちるけれども不発に終わり、宮部ひとりが死ぬのです。任務はきっちりと遂行し、でも敵も誰も殺さないで一人で逝く、その最期は彼にふさわしいと私は思ったのですが、映画は敵艦めがけて急降下する彼の姿で終わりなので、成功したんだろうな、敵の船を沈めたんだねと思われなくもない。それは不本意です。ラストの表情はとても良かったけど。

あと、小説ならではの良さだろうけど、エピローグとプロローグが一対となったあの形は残して欲しかった。ムリか。ムリだな。

主題歌がサザンと聞いた時には「勘弁してくれ。ポップにしないでくれ」と思ったものでしたが、まあその、控えめだったのでそんなには邪魔ではありませんでした。歌自体はいい歌だしね。

3DのCG技術協力に、模型のタミヤが名を連ねていて嬉しかった。冒頭と最後の、海面すれすれの高さを飛ぶ零戦の姿には涙がこみ上げました。むしろ俳優の演技より零戦の姿に泣いた自分。誰かも言ってたけど、零戦のプラモデル作りたくなりました。もっぱら拳銃ばっかり作っていて、以前クフィルだかラファールだか(戦闘機の名前です)を作ろうと思ったけどあっという間に挫折した自分ですが、もう一度トライしてみようかしら。よし、初売りはボークスだ。おじちゃん、零戦ふたつちょうだい。

なにやら、パヤオがこの小説と原作者大キライと言った騒動がありましたね。両者の温度差にちょっと笑いましたが

思うのですが、「戦争もの」というジャンル(殊に、近代での戦争)での作品に、どういう形でか「感動」というものを盛り込もうとすると、絶対にその内容がカンに障るとか、あの戦争で死んだ人への冒涜と感じる人が存在するのだと思う。戦争で死ぬ、特に特攻として死ぬことって、そう簡単に「精一杯やった、やりきった」「愛する人を守るために全力で戦った」とスッキリあっさり言えないではないですか?最初から生き残る確率はゼロ、ただ死にに行く、しかも敵を倒すことも多分できない。倒せればいいというものでもないし。大事な家族を残して、自分は一体なんのために死ぬのか?こんなにも甲斐のない、虚しい苦悩ってないだろう。その絶望や、それをのみこんで出撃する気持ちを、「上手く演出して、演じて、作品化」する、その仕方や、作品化の行為そのものが気に食わない人が居るのは当たり前だと思う

それから

戦争でひどい思いをした人々に、その経験をもっと語って欲しい、口をつぐまずに語り継いで欲しいという意見があり、私もそうだと思ってきたのです。人間はバカですからどんどん忘れる、ましてや直接知らない歴史のことなんかあっという間に過去に埋もれさせてまた同じことをする。それをくい止めて欲しいのに。

でも、「つらいことは忘れたいから話したくない」というのでなくて、言葉で記録し表記できることはごく表面的なことやごく一部分で、言葉にしてしまうとあの時のあの人のあの気持ちが全く別物になってしまう、それは嫌だ。だから言葉にはしないで自分の胸の中だけで大事にとっておきたいのだ、ということもあるのかも知れないと、今回思いました。

結局、宮部が何故特攻の道を選んだか、部下にエンジントラブルを抱えた機体を譲って生き延びさせ自分は死んだか、明確にはわからない。その点を攻撃している人もいますが、でも、実際、「△△が△△だったので、こうした」と明文化できない思いってあるよなと思うし、この作品に関しては、それでいいんじゃないかと思いました。

永遠の0の話ここまで。

えらい長くなってすみません。

私は、この映画はお勧めします。よかったらレディースデーとかサービス使って観てみてください。

今年もあと二日三日そこら。はやっ

明日も大晦日も正月も仕事です。でもテレビは片っ端から観るぞう。楽しみな特番いっぱいあるし。

正月の松飾りを買ってきました。ダイソーでね(笑)

拍手してくださった方、ありがとうございます!